御言葉メール283
2007年5月12日
「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩1の3)
人の霊的成長や人格的成長に伴う好ましい変化は、すぐ目に見える結果となって出てくるとは限りません。いや、ほとんど無いでしょう。そのような時、私たちの罪に歪められて、今も清められていない心は囁くのです。
「あなたに信仰があり、神のみ言葉が正しいならば、どうしてあの人(又は自分)は変わらないのか。もう結果が見えるはずではないか?」と。このようにして神と隣人への誠実さを疑ったり、神のお言葉に疑いを感じ始めるのです。ですから私は、知って欲しい事があるのです。霊的、人格的(感情的・知的・意思的)成長は瞬時には起きないということをです。自分に対してよりも、特に他者に対して私たちは気が短いのです。
聖書の中で、神は私たちの回復と成長・そして成熟を植物の成長になぞらえて言います。冒頭のように確実な成長をするために必要なのは、1〜2節には①悪者のはかりごとに同調しない、②罪人の道に立たない、③あざける者とならないで、①主のおしえを喜び、②昼も夜もその教えを口ずさむ事とあります。
御言葉メール283
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