御言葉メール307
2007年8月4日
「彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには5タラント、ひとりには2タラント、もうひとりには1タラントを渡し、それから旅に出かけた。」マタイ25の15
賜物という時、思い浮かぶのは、何かができる能力です。しかしそれは、一面でしかありません。私達が生まれてくる環境は、神様が一人一人に備えられます。生まれた時から親と一緒に教会に行く環境、又、親の虐待や親との死別、離婚、又、障がいを持って生まれる人、貧しさ・・それぞれ与えられた環境下で楽しみも痛みも決して同じではありません。
お互いで比較しあうなら、全く不公平としか言いようのない現実があります。しかしどんな現実も、愛そのものの神様から出ていることを教えられ経験していく時、与えられた環境への見方は変わるでしょう。なぜ神様は私にその環境を与えられたのか、という理由はわからなくても、自分にとって意味あるものだという事がわかります。
痛みの経験や現実が自分の人生である事を受け入れる時、実はその歩みそのものが賜物である事に気づかされます。その痛みはある人を助け癒します。神と人に仕えるために、神様がその人に一番よい賜物を用意されます。
御言葉メール307
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