御言葉メール511
2009年12月5日
「私は、ほんとうにみじめな人間です。」(ローマ書7の24)
人間の大きな関心の一つに、自分が他者からどの様に思われているか、という事があります。バカにされていないか、軽く見られていないだろうか、その様に考えると人の態度、ことばがとても気になってきます。
その様な私達に神様は、何も思い煩わないであらゆる場合に祈ることを教えて下さる。それはどんな事も神様にまかせて大丈夫、という事です。ところが神様に祈ってまかせようとする時、神様にまかせたくない自分、ゆだねたくない自分が突如として大きく見えてきて、愕然とすることがあります。神様を信頼して歩んでいると思っていたのに、と自分がみじめに思われるかもしれません。
しかしこれは、神様に委ねようと思う時に見えてくる自分の本当の姿です。これも神様が教えて下さる。その時から初めて祈れる祈りがあります。「みことばにある様に、ゆだねたいと願いながらも、ゆだねる事のできない私を哀れんで下さい」と自分の心をさらけだす祈りです。自分のみじめさを知った人間だけが祈れる祈りです。
御言葉メール511
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