御言葉メール427
2008年10月18日
「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。」(ヘブル12の10)
私達は「バチがあたる」とよく言います。自分にとって悪い事、嫌な事が起きる時、自分の行いの報いとしての結果と考えて、その様に言います。自分が意地悪したから意地悪された、ウソをついたからうそをつかれた
それは自分が悪い事をするならば、いずれ同じような目に遭うだろう、という漠然とした不安を生み出し、反対に、なにも悪い事をしていないのに何故こんな目に遭うのか、というどこにもぶつけようのない怒りになってきます。この因果応報の考え方は、罪に縛られて、不安と後悔と怒りの温床です。しかし罪を赦される神様がおられます。
私達を愛される神様を知ると、自分にとって嫌な辛い事は、自分の行いの報いではない事が教えられます。その試練は自分の罪や欠点がわかったり、そういう自分を赦して受けいれる神様の恵みを教え、成長へと導きます。それはつらさの中にもその意味と、確かに自分にとっての最善であることに気づかされるでしょう。
御言葉メール427
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