御言葉メール973
2019年4月6日(記:斉藤文子)
「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」ヨハネ3の30
バプテスマのヨハネに私が心ひかれるのは、自分の役割を知り尽くしている生き様です。どうして、そこまで自分に与えられた役割から逸脱しないで生きれるだろうか。
その頃ユダヤ全国の住民はこぞって、バプテスマのヨハネのところに来てバプテスマを受けるという、注目の有名人でした。その頃の政治的宗教的指導者さえヨハネに一目おき、使いを出してヨハネに問います。メシア的働きであるバプテスマを授けているからには、ヨハネは何らかのメシア的存在だろうと考えたからです。
それに対しヨハネは、私の授けるバプテスマは一時的なものに過ぎない、しかしあなた方の中にあなた方の知らない方が立っておられる。私はその方の履物のひもを解く値打ちもない、と言って、自分はキリストをただ指し示すだけの者だと言明する。
人からの賞賛と尊敬の中でも、ヨハネの役割理解と、それは即ちしもべとしての自己理解が決してぶれない。私は目の前の様々な事に心奪われます。それは楽しみやストレスを生み出し、自分の働きに集中させなくする。
しかしヨハネは違う。彼は自分の生活全てにおいて神を知り神を求めるのです。神を知らなければ神との交わりに生きることはできません。神と人のしもべとして生きる事もできない。そして神を指し示す働きが、意識しないうちに自分の考えや自分に向けてしまう事に気づかなくなっていくのです。私自身、心を探られるヨハネの生き様です。